筒井学童の学区内紹介-4.黒門町・百人町(筒井学区)

筒井学童学区内紹介、4回目は「黒門町・百人町」を取り上げます。

先週火曜日の昭和の日に急遽第3回をアップしたため、準備が遅れた本企画。
ようやっとですが、第4回「黒門町・百人町」をエントリーします。

筒井小学校区の北部、やや東寄りにある黒門町と百人町は、いずれも清洲越しによる名古屋開府の過程にその端を発する町名です。

黒門町は、名古屋城二の丸の黒門の警備をその任とした同心達の屋敷があったことからその名がついたとする説と、筒井町四丁目にある宝池山自然院の本尊が京都黒谷から移されたことによりその門前を黒谷門前と呼ぶようになったことから発するとする説の2説があるようです。
いずれにしても、徳川時代の初期にその名があったということになります。
百人町は、清洲越しにより尾張藩に属することとなった関東百人組の屋敷がこの地にあったことからその名がついたとされています。

黒門町や百人町は、第二次世界大戦時における空襲の被害が比較的少なかったこともあり、戦後もかなり最近まで昔の面影が残された家屋が残っていました。今でも昔の面影を残した家屋が残ってはいますが、町を南北に縦断する幹線道路である市道赤萩町線が開通したこともあり、マンションが建設されるなどの変化も出てきています。

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