月別アーカイブ: 2014年4月

夏野菜と種芋、植えられる。

とうとう植えられたようです。

yasaiしばらく前から植えられる予定が実行されていなかった夏野菜とジャガイモですが、本日学童庭での植え付け作業が実施されたようです。
・・・いやあ、月をまたがなくてよかった。
今日は雨降りにより地面もやわらかかったはずなので、作業もスムーズに行ったことでしょうね。

・・・って、野菜はプランター植えかい!

左から順に、ミニトマト、きゅうりとパプリカ、おくら、きゅうりだそうです。
ピーマンは諸般の事情できゅうりに変更されたそうな。
まあ、何はともあれ植えられました。あとは、いかに無事に育てるか、です。

<画像追加および加筆あり>

新学年、ひと月経過。

早いもので、4月も今日でおしまいです。

筒井学童の新学年も1/12が過ぎたのか・・・と思います。
例年通りの新学年各種行事の他にも、新しい指導員さんにお越しいただいたり、インコの雛鳥が加わったりといったこともありました。

このサイトのヘッダーに使っている桜の画像も、そろそろ季節に合わなくなってきましたね。
建中寺公園で今年の桜を撮ったものなんですが・・・。
何とか時間を取って、若干でもリニューアルしたいところです。

筒井学童の学区内紹介-3.錦通(葵学区)

筒井学童学区内紹介、3回目は「錦通」を取り上げます。

毎週日曜日にやるつもりだったこのシリーズ、ゴールデンウィークで学童の閉所日が増えることをすっかり忘れていました。
というわけで、急遽第3回「錦通」をエントリーします。

葵学区の南側の地域を東西に横断する形で走っている錦通。
北側の桜通、南の広小路通と並んで、名古屋市都心部東西方向の動線を担っています。
西側は名古屋駅近辺、名鉄バスセンターのビルから、東側の池下バスターミナルまでの全長約6Kmの道路です。

800px-Nishiki-dori_20121220錦通の名前の由来は、古今和歌集に収録された素性法師の和歌「見わたせば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」に由来するとされています。歌の中の「桜」を桜通、「柳」を広小路通沿線にかつてあった柳薬師に見立てて、その間に建設された道路だから「錦」通と名付けられたそうです。
錦通が堀川を渡る錦橋の袂には、命名の由来を記した石碑があったりします。

画像はWikimedia Commonsからの転載です。

錦通の地下には、地下鉄東山線が走っています。
というよりは、昭和30年代前半に地下鉄東山線が建設された跡地が、錦通になったという順番ですね。
第二次世界大戦後の名古屋市の復興都市計画の一環として、土地区画整理が行われて用地が既に確保されていたので、その土地を地下まで掘って東山線を建設し、埋め戻した後を道路としたわけです。
決して錦通の地下に東山線を工事して引いたのではありません(まあ、普通地下鉄を引くときはこの順番なんですけれどもね)。
なので、東山線の駅は軒並み錦通の地下にあるわけです。葵学区内にも、新栄町駅と千種駅があります。
1つならともかく、2つあるっていうのは結構すごいかも。

種芋植えられず。

今日植えられるはずだったジャガイモの種芋は、植えられなかったとのことです。

先週金曜日のエントリーにあるように、今日には植えられるはずだったのですが・・・。
何があったのでしょうか?

天候が今ひとつなので延期した?
それとも、時間を置きすぎて逆に種芋がだめになってしまった?

状況は今ひとつ判然としません。
まあ、そのうちに植えられるでしょうが・・・。

謎のサンドバッグについて謎の最終連絡。

関係各位

緊急連絡:
これまで連絡した件につき、情報収集に当たっていた諜報員より以下の追加電文あり。

「サンドバッグニツキ、ツツイガクドウコウセイインガ、バットデタタクナドノコウイニオヨンデイルコトヲカクニン。
ドウヤラ、サンドバッグヲナゲツケテソレヲバットナドデタタイテイ・・・・・・」

諜報員からの連絡は、本電文の送信後途絶えている。
電文も中途で途絶えており、諜報員の身に危険が及んだ可能性も否定できない。
別途引き続きの調査を検討するが、現状ではこれ以上の情報を得ることは困難と考えられる。
何か追加情報があった場合は、改めて各位に連絡することとし、本件については一旦クローズとする。

筒井学童の学区内紹介-2.建中寺(筒井学区)

本日の筒井学童学区内紹介では「建中寺」を取り上げます。

先週日曜日から唐突にスタートしたこのシリーズ。
第2回目の今日は、筒井学区としてはやはりここは外せない、建中寺を紹介します。

800px-Kenchuji-01

画像はWikimedia Commonsからの転載です。

徳興山建中寺は、江戸時代初期の慶安4年(1651年)に、尾張徳川家第2代当主徳川光友が、父である第1代当主徳川義直(徳川家康の九男)の菩提を弔うために建立したとされています。以来、尾張徳川家の菩提寺として、歴代当主の墓所となってきました。現在では、2代光友以外の当主の墓所は平和公園に移されています。

建中寺の現在の境内は、創建時よりもかなり狭くなっています。というのも、太平洋戦争以前は境内であったところに、戦後になって東区役所、名古屋市立あずま中学校といった施設が多数建てられたからです。また、現在の境内の南側、上の画像の総門までの間は、筒井学童の子供の遊び場になっている建中寺公園となっています。

毎年6月の第1土曜日・日曜日には、名古屋地区の夏祭りの先陣を切る形で筒井町天王祭が行われ、江戸時代から伝わる神皇車・湯取車の2台の山車が町内を練り歩くと共に、建中寺公園には屋台が立ち並びます。

土曜日の保育。

筒井学童クラブは、土曜日にも開所しています。

土曜日は職場がお休みの父兄も多いので人数は大幅に減るのですが、それでもお仕事の方もいらっしゃいますので。

今日の保育では、葵学区内の舎人(とねり)公園に遊びに行く予定になっているようです。
筒井学童からは少し離れたところにある小さめの公園ですが、まあ、さらに離れた鶴舞公園まで歩ける(花見のとき)子供たちですから、特に問題はないんでしょう。
今日はこの後1年生父兄の懇談会、さらに月例役員会とありますから。そのときにでも詳しい話を聞いてみましょうか。

種芋準備中。

学童の庭に植える種芋の準備がされています。

imo葵小学校の児童は今日は遠足だったようですが、筒井学童では種芋の準備がされています。
予定では今週中に植える予定だったそうですが、準備が遅れて出来なかったんだそうです。
何でも切ってから2-3日置かないといけないそうで。

かくして、このような形で準備中というところで今週はおしまいとなりました。
来週月曜日には庭に植えるそうです。

謎のサンドバッグについての謎の追加連絡。

関係各位

緊急連絡:
昨日連絡した件につき、情報収集に当たっていた諜報員より以下の追加電文あり。

sand「ツツイガクドウデノサンドバッグノセッチヲカクニン。
ガゾウヲオクル。
オクナイヘノセッチハシッパイシ、ノキシタニセッチシタモヨウ。
セッチイチガヒクク、シヨウホウホウハハンゼントシナイ。
イゴ、ガクドウカンケイシャヘノキキコウミチョウサニイコウスル。」

昨日の見通しどおり設置は完了したようではあるが、既知の学童所属員いずれにとっても低すぎる設置位置となっており、用途については未だ判然としないと判断せざるを得ない。
各位に置かれては、有用な情報があればお寄せいただきたい。
引き続き調査を継続する。

ドッヂビー大会、案内される。

謎のサンドバッグの情報は入ってきませんが、ドッヂビー大会の案内は筒井学童内に配られました。

毎年、5月の連休明けの週末に建中寺公園で行われるドッヂビー大会。
前にも書きましたとおり、昨年は東区内4学童中4位という不本意な成績に終わってしまった筒井学童としては、ぜひとも巻き返しを図りたいところです。
筒井学童から出ていただいている区連協会長さんの有終の美を飾るという意味もありますしね。

というわけで、既に一部の家庭では、大会に向けての練習用としてドッヂビーを購入したとかいう話もあります。
何ごとも、一定段階まではまずは「慣れ」ですからね。
練習量が実力発揮に直結します。

頑張っていきましょう!!